Vol.31 柴橋 伴夫さん「奇跡の広場—アルテピアッツァ美唄」

アルテ通信 Vol.31

「奇跡の広場―アルテピアッツァ美唄」

詩人・美術評論家 柴橋伴夫

 「アルテピアッツァ美唄(以下「アルテ」と表記)」がオープンして4半世紀が過ぎた。安田侃が蒔いた小さな種が育ち、大きな華を咲かせていることに、特別な感慨を抱いている。当初と比較しても、彫刻設置数は45点とかなり増えている。またこれまでに64万をこえる方がここを訪れている。国内外の方に愛され、いまも成長し続けている空間だ。世界中にいろいろな広場があるが、私は、「アルテ」は、一言でいえば、「奇跡の広場」だといいたい。なぜか。それはとりもなおさず、安田侃が、故郷美唄の再生を願いつつ、何処にもない世界にたった1つの「芸術広場」を築くという「見果てぬ夢」が、いままさに成就してきているからだ。だが事は簡単ではなかった。全身全霊を傾注した「闘い」であった。これこそ本物の「芸術愛」、そして「人間愛」だと、私は意を強くして想う。
 この燃えあがるような安田侃の「芸術愛」と「人間愛」が、「アルテ」のいたるところで、息づいている。「いま、ここ」にいることはたしかなのだが、「知らない自分」に出会っているような「妙な感覚」。「アルテ」を離れても、どこにいても「アルテ」の空間に繋がっているという喜びがこみあげてくる。だから私は、ためらわずに「奇跡の広場」と呼びたいのだ。少し「奇跡の広場」の魅力を、私的感慨を混ぜながら語ってみたい。自然のオーラに包まれながら、不思議な形をした彫刻が語りかけてくる言葉を心の奥で反芻してみた。すると親しみが籠った言葉が、いままで味わったことのない「休息」「懐かしい郷愁」の渦を巻き起こした。なぜ「休息」や「懐かしい郷愁」が溢れてくるのか。「彫刻の美」にあるとみたい。簡潔に表すと、「三位一体」の美となる。つまり、「大理石」「白」「フォルム」の三位が1つに溶け込んでいる。いうまでもなく大理石には、地球の記憶が宿っている。そして「白」とは、心の純白さの象徴となる。「フォルム」には、不定形性と母的な優美性が存する。三つは、和してスーッと心に入ってくる。
 ただ人は、タイトルをみて、その意味を思索し悩むかもしれない。たしかに「意心帰」「天秘」「翔生」「妙夢」などやや難しい。しかし日本人は、言霊(ことだま)を信じている。言葉に霊的なものが宿り、それは威力を持つと信じている。眼に視えないものを、身近に感じる感性力。それこそが日本人が持ち得るものではないだろうか。だから意味を探索するよりも、そこから発するものをうけとめればいいのだ。眼を瞑り、作品にそっと触れてみればいいのだ。
 現在安田侃の作品は公共空間に、日本に37点、海外に16点設置されている。私はこんな夢をみている。さらに民族、言葉の壁をこえて世界中に置かれることを。そしてそれぞれの場で、人々が「意心帰」「天秘」「翔生」などを心と手で触りながら、心の傷や痛みを癒し、明日を信じて生きようとしている状景を。まちがいなくそれは生起する。いやもう起こっているのだ。