Vol.16 井関 正昭さん「安田侃さんのこと」

「安田侃さんのこと」

東京都庭園美術館館長 井関正昭

 1970年代に安田侃さんと一緒にローマに住んでいた私の芸術的視野から、彼の存在はひとときも離れることはなかった。それまでまだ無名だった彼の作品に何かただならぬ現代的な妖気を感じていたからである。
 イタリアの彫刻家の巨匠ペリクレ・ファッツィーニに師事した侃さんは、その後カラーラやピエトラサンタの大理石の街に住んで活動することになる。そして次第に海外に活動の輪をひろげ、その頼もしさは目を見張るものがあった。
 80年代に帰国した私は、札幌の道立近代美術館から、縁あって目黒の東京都庭園美術館に籍を置くことになったが、ちょうど2001年に、日本におけるイタリア年に当って、この美術館は日経新聞の「イタリア・ルネッサンス美術展」の向こうをはって朝日新聞と共催で日本ではじめての 「カラヴァッジョ展』を開催して、1日平均6000人を超える観覧者を得てあらゆる関係者をびっくり仰天させたのだが、イタリア・オタクの私は(今でもそうだが)、このイタリア年に際し、日伊の現代文化の交流を示す何か良い企画はないものかと思い、はたと安田侃さんの展覧会をやることを思いついたのである。美術館の学芸員にこれをはかると、安田侃っていったい何者だという反応があり、いや彼ほどこの文化交流に適した芸術家はいないと、館長権限を駆使して 侃さんの作品展を庭園美術館で開くことを決めたのである。ただし、東京都にあまり予算がなく彼にはずいぶん迷惑をかけてしまったのだが、一番嬉しかったのは展覧会 が終わって代表作の一つ「風」を彼は美術館に寄贈してくれたことである。庭園にあった古い池の残骸の跡を整地した素敵な環境に置かれた「風」は、ここを訪れるとくに子供達に大人気、今は庭園美術館のシンボルとなっている。
 先日10月末に久しぶりにアルテピアッツァを訪れた。この時改めて発見したのは、今まで侃さんの作品は作者が彼の作品に最も適した自然環境(自然の空間)を探してそこに作品を設置するのだと考えていたのだが、本当はそうでは なく、まず作品ができたらこの作品に一番ふさわしい自然環境を作者自身が作り上げてそこに置くのだということ。つまり作られた自然は多分作品に最も適しているのだが、それはいわば人工的に作られた自然なのだ。しかもそうは見 えないところに侃さんの魔術があるのだと思う。傾斜地に大量の土を盛り上げたり、何気なく熊笹を植え込んだりなどその努力と労力は大変なものだと思う。
 われわれは、人間である存在以外の何らかの存在を通して、またはその存在のおかげで生きているのだが、その存在が白い大理石である場合、その空間のもたらす存在がいかに生きるかを教えてくれる場合をとりわけ多くの瞑想を 以て考えなければならないことを安田侃の作品は教えてくれると思う。北海道の大地にずっと昔からあるように存在するにちがいないのだが、それは一面からいえば、風景が芸術に、芸術が風景になる、それも極めて瞑想的に新しい自然の空間をつくり出す瞬間に立ち合うことができる。
 北海道に新しい自然の風景をつくり出すということは、別の意味でいえばどんなところにも新しい自然をつくり出すという同じ意味をわれわれは経験することになり、それは、一人の芸術家が残した形ある作品に瞑想という永遠の軌跡を残す存在になるにちがいない。芸術作品が語る生き甲斐を今日のような異常な生活の入口に置くことは極めて必要ではないかとも思う。