Vol.09 永井 多恵子さん「アートで再生、廃坑の町」

「アートで再生、廃坑の町」

ユネスコ国際演劇協会 会長 永井多恵子

 昭和の初め、炭鉱で栄えた北海道・美唄の町は最盛期9万の人口を数え、鉱夫たちで沸き返っていた。だが、エネルギーの主役が交代し多くの施設は無惨な姿をさらしていた。
 今、その町はふたたび、アートで静かに生まれ変わろうとしている。

○炭鉱の記憶~近代の産業遺産
 札幌市から車で東に1時間半、初夏の北国の緑は美しい。NPO法人アルテピアッツァびばいのメンバーに案内されて、先ず足を踏み入れたのが「炭鉱メモリアル森林公園」。
 かつての黒いダイヤを運び、炭坑夫たちをのせて上下した立坑巻き上げ櫓の錆どめ色の朱色が緑の草原の中ではアンバランスなほどに目立つ。
 櫓の高さは地上20メートル、坑道地下170メートルまでゲージを降ろすために、がらがらとエレベーターは音をたてて動いていたことだろう。櫓が二つあるのは一方は坑道内部のガスを外へ出し、他方は外気を地下へ導き入れるためだと言う。
 高度経済成長を支えて、一時、美唄地区には7炭鉱が稼働し、昼夜を通して作業が続いた。そんな時、美唄では「不夜城」といったらしい。岩石を砕く「たがね」と「せっとう」という大きな金槌のようなものと、火薬などと共 に、仕事に降りてゆく鉱夫の姿や、石炭を満載した箱が地下からあがってくる風景が浮かぶ。
 真っ黒になった顔、共同風呂、飯場、「友子制度」という親分子分のような 特殊な風習は一種の社会福祉のように、事故に見舞われて働けなくなった 炭坑夫たちを守りあった共同体でもあったようだ。

○隣国からの犠牲者を弔う
 特別なコメンテーターとして参加したのは美唄出身の彫刻家・安田侃さ ん、「朝鮮から来た人も多くて…」と、櫓の前で訥々と語り始めた。
 「ガスが出るとね、坑内の労働者が全部出てくる前に空気を遮断するため にね、坑口を閉めてしまうこともあったんです」酸素が残っていると、火が広がる。そこで、水を入れる前に、新しい空気が入らないように閉める、残酷な処置だ。
 かつて安田侃氏は美唄の有志と共に、炭鉱で亡くなった朝鮮からの犠牲者473人の方々の鎮魂のために、天安市にある望郷の丘に彫刻をおこうとして当時の韓国政府に拒まれた。その後、2006年の釜山ビエンナーレのために制作された安田侃氏の作品が美唄で果てた人々の魂を受け入れるかのように、韓国釜山の地に置かれている。

○アートで炭山の廃校を再生
 「炭鉱メモリアル森林公園」からバスでふたたび移動、周辺には石炭輸送を 担った美唄鉄道の駅のひとつ・東明駅、急勾配に強いタンク機関車2号、1万 キロの発電能力を持った滝ノ沢発電所などがある。
 そして、かつて炭鉱の子どもたちの教育を支えた栄小学校の廃校跡地にたどりつく。そこが「アルテピアッツァ美唄」だ。
 緑のゆるやかな丘のところどころ に、安田侃氏の大理石の作品が点在 している。
 なんという気持ちのよさ、「いるか」のような大理石の彫刻に子どもがひとりまたがって遊んでいる。
 自然の中にアートが置かれ、白い大理石に水が流れ、それらが一体となって訪れる人々の心を温めてくれる。
 廃校になった小学校は幼稚園として再生され、一部がギャラリーとして公開されている。「日本一の幼稚園です、と言われます」と現地の人々。自然とアートに囲まれ、その中で育つことが何よりの栄養になっているようだ。
 天皇・皇后両陛下も訪れられていると聞いた。宮内庁もなかなか、取材力がある。両陛下の教育・自然・文化への関心の深さにそって選ばれたに違いない。
 かつての体育館にも安田作品、そして、ここでは時折、コンサートも開かれる。

○再生に力をつくすボランティア活動
 彫刻を磨き、掃除をし、料理をつくり、年に4,5回のイヴェントを催して助けているのが、NPO法人アルテピアッツァびばいの人々。パネルディスカッションの後、出された食事のおいしかったこと、地元の産物を見事に調理して供された。
 「アルテピアッツァ美唄」は入場料なし、志あれば寄付をいただく。そういえば体育館のガラスのケースには白い玉に混じって、紙幣やコインが混じっていた。ドネーション(寄付)でこれほど、美しい形をみたことはない。「お金で計ることをしたくない」というのだが美唄市の財政も乏しく、経済的な苦しさがみえてくる。

○アートは太陽
 大阪市でも財政支援は福祉までと、アートが切り捨てられようとしている。現場を見た後のパネルディスカッションでは「ふるさと納税制度」にアートへの使途指定が出来るかなどの議論に及んだ。アートの現場はどこでもそうだが、もちこたえるにはどうしたらよいか、ボランティアだけの限界もある。
 確かに、アートは個人的な嗜好が強く、誰もが同じアートに感動するわけでもない。だが、人は古代からアートにやすらぎを求め、おのれを取り戻し、生きてきた。そうでなければ世界中に、何故、これほどの美術館や劇場があるのだろうか。
 アートがこの世界に必要なものとして、日本の社会に受け入れられ、公的な位置づけが出来るほどには、説得できる「ことば」が日本では未だ生まれていないのかもしれない。レオナルド・ダ・ヴィンチはいう「アートは太陽のようなもの」。
 そう、アートは人々の心を温める太陽なのです。