Vol.08 岡本 康明さん「冬の日――アルテピアッツァ美唄」

「冬の日――アルテピアッツァ美唄」

京都造形芸術大学教授 岡本康明

 早朝の便で一路北海道へと向かった。真冬の最も寒さが厳しい時期である。
 千歳空港周辺は低気圧の影響で突風が吹き荒れてすぐには着陸許可が下りず、飛行機は上空で四十分余りも旋回をつづけた。幾度も待機中であることを知らせるアナウンスが流れ、漸く管制塔からの許可がおり着陸態勢に入ることができたが、機体は大きく揺れて、震動と轟音に身体はもみくちゃにされながら滑走路に雪崩れ込み、乗客の多くは息を止めて石のように硬まったまま、暫くは身動きもできない様子だった。空港に降り立つと、そこは数メートル先が目視できないほどの吹雪の只中で、何処が滑走路なのかも判別できないほどの、雪の原野と化していた。
 手荒い歓迎を受け、突風の吹き止まない札幌で一夜を過ごした後、美唄を目指した。昨日の嵐が嘘だったかのような晴天。白い雲に覆われながらも所々に青空が覗き、穏やかな陽光のなかにアルテピアッツァ美唄はあった。時折り差し込む眩しいほどの冬の光、輝く一面の銀世界に「妙夢」や「帰門」のブロンズの彫刻と、校舎の赤い屋根だけが少し頭を覗かせて、春や夏の風情とはまた異なる、静謐で深遠な静寂に包まれていた。
 雪を踏みしめながらギャラリーに向うと、いつもの「さかえようちえん」の大きな表札が迎えてくれた。不思議なことに、それは懐かしいという気分を越えて、以前からよく知っていた場所にひょっこり出くわしてしまったような感がある。玄関を入り階段を上がると気持ちはいっそう高まり、建物が持つ悠かな時間と歴史のなかで、私の遠い記憶は呼び覚まされて、身体が一気に弛緩して行く感覚を醒える。「天秘」や「相響」の前に立つと、大理石の清麗な美しさに息をのむ。触れるとその肌理の緻やかさや感触の心地よさに融けだした私の身体は石に浸透し、同化してしまうかのような錯覚さえ抱くのである。それは幼い頃の、世界がまだ連続しているなにかによって包まれ、満たされているという、あの淡い幸福感にも似た心持ちである。
 ふと窓越しに外へ眼をやると、何処から現れたのか、オレンジ色のアノラック姿の少女二人が、半分以上も雪に埋まっている「天モク」の間から元気に滑り降りてくるのが見えた。雪原で、他愛無く、無邪気に戯れる少女たちにしばらく見とれていると、可笑しくてつい声を上げて笑ってしまった。北の大地に息づいている安田侃の作品は、ミンコフスキーのいう「存在の最も深い層」に触れることが出来る、彫刻としての稀有な存在を顕している。そして、日々の生活に追われ、忘れかけていたおおらかな気持ちを想い起こさせてくれる。アルテピアッツァ美唄は、そこを訪れる人々にとって、魂の起源の海となっているのだ。
 冬の日、鳥の鳴き声も風の音さえもしないアルテピアッツァ美唄――森のアトリエから聞こえる、石を叩く音だけが山に響き渡っていた。