Vol.28 藤田 令伊さん「「概念変化」がもたらされる1000分の3 アート鑑賞」

アルテ通信 Vol.28

「概念変化」がもたらされる1000分の3

アート鑑賞ナビゲーター 藤田令伊

 仕事柄、私は全国あちこちの美術館を訪ねて回っています。今年の上半期も、北海道から沖縄まで、すでに80館以上を訪れました。そんなことをしているので、ある出版社より全国の美術館のなかから60館を選りすぐって紹介する本を書いてほしいという依頼がありました(この号が発行される頃にはすでに発売されているはずです)。
 みなさんは、全国にどれくらいの美術館があると思いますか?じつは日本には1000を超える美術館があります。気象庁の観測地点が929カ所ですから驚くほどの数です。そこから60館を選べというのです。割合にしてわずか6パーセント。残り94パーセントの美術館は切り捨てなければなりませんから、恐ろしく厳しい選択になると思われました。しかし、3つだけは即座に頭のなかで確定しました。六花の森・中札内美術村、神田日勝記念美術館、そして安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄でした(偶然か必然か、3つとも北海道のミュージアムです)。つまり、私にとってアルテピアッツァは1000分の60どころか、1000分の3に入るところなのです。
 いったい、私はアルテピアッツァのどこに惹かれているのでしょうか。
 私はいま、ある私立大学でアート鑑賞を教えています。アートを見ることは人間的成長をもたらしうると考え、学生たちとともに望ましいアート鑑賞のあり方を探っています。アート鑑賞において大切なのは「概念変化」だという考え方があります。概念変化などというと小難しく聞こえるかもしれませんが、要はその人のなかで何かが起こることです。難しい知識を知っているかどうかよりも、鑑賞を通じて何かに気づき、その気づきによって自分の何かが変わることです。それはほんの小さなことでもよいのです。
 アルテピアッツァは概念変化をもたらすアート鑑賞にピッタリのところです。安田侃さんの作品はどのようにも見ようがありますし、アルテピアッツァでは見る順路が定められているわけでもありません。見る人それぞれの自由で主体性ある作品との向き合いが可能で、それが期待されているのだと思います。アルテ通信をお読みの方は「そんなことは当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、日本の美術館ではまだまだ順路が厳格に決められているところが多く、なかには作品の横に「これがイチオシ!」というプレートを掲げている美術館さえあるほどなのです。
 エリアの豊かな自然ももちろん素晴らしいのですが、私には鑑賞者が主体的に見ることができ、鑑賞者自身が何かを見出せるようさりげなく導かれるところが最大の魅力だと感じています。アルテピアッツァは私たち鑑賞者にとって鑑賞という「作品」をつくらせてもらえる場なのだと考えます。