Vol.20 牛山 克巳さん「アルテピアッツァ美唄と宮島沼のゆるやかなつながり」

「アルテピアッツァ美唄と宮島沼のゆるやかなつながり」

宮島沼水鳥・湿地センター 牛山克巳

 「堅雪かんこ、凍み雪しんこ」の3月上旬。東明公園でスノーシューを履き、ふるさとの見える丘展望台を目指す。展望台の裏手を少し登ると、アルテピアッツァ美唄を見下ろす小さな山の頂に出ることができる。
 雪の野山は自然の造形にあふれている。大地を覆う雪はなだらかにうねり、ねじれる。川には雪帽子が並び、樹霜が木々に花を咲かせる。一寸先も見えない猛吹雪の後には、見渡す限りの雪原に風雪紋が刻まれ、獣が押し固めた足跡は風に削り出されて浮き上がる。春も近づくと現れるのは雪まくりや雪えくぼ。美唄の厳しくも美しく、優しい冬を知ったことで、安田侃さんの作品の見方が大きく変わり、アルテピアッツァ美唄がまた少し身近な場所になったように思う。
 雪はやがて水に変わり、大地を潤す。かつて原野と呼ばれた湿原も雪の産物と言える。美唄の平野部には見渡す限りの原野が広がっていた。国内最大の泥炭湿原と言われた石狩湿原だ。何千年もの歳月をかけて形成された湿原は不毛の土地として開拓され、僅か百年の間に消え失せたが、代わりに創出された美田もまた湿地であり、「雪は豊年の瑞」の言葉通り私達に恵みをもたらしてくれる。
 田んぼの恵みを授かっているのは私達人間ばかりではない。トンボからミジンコまで、田んぼは生きもののにぎわいにあふれている。毎年秋と春になると数万と飛来するマガンもその一員だ。ななつぼしやゆめぴりかの落ち穂がマガンのエネルギー源となり、片道4千kmにもなる渡りを支える。マガンの一大飛来地としてラムサール条約に登録された宮島沼の自然は、農業という人々の営みが支えていると言える。
 しかし、農業はあくまでも産業であり、意図的に自然を支えているわけではない。かつて素掘りの水路で群れをなしたトゲウオも、防風林と農地の境でひっそりと花を咲かせたカキツバタも、農業の近代化に伴い姿を消した。宮島沼は周辺農地から流入する土砂や栄養塩の影響で急速に姿を変えつつある。マガンは田んぼにいれば「ただの鳥」であるが、一度小麦の葉をむしれば憎き「害鳥」である。
 その宮島沼の保全と活用を目指した地域の取り組みが今進んでいる。かつて川や沼でカニや魚を捕り、ヤチフレップの甘酸っぱい果実を摘み、湿地の恵みを享受したように、人と湿地のゆるやかなつながりを再構築し、暮らしの一部として宮島沼を守り育もうという活動である。人と自然の共生とよく言うが、人も暮らしも自然の一部と実感できる地域づくりを目指したいと考えている。
 アルテピアッツァ美唄もまた、自然との一体化を実感できる空間なのではないか。雪のやわらかさも感じれば、石炭産業で賑わった暮らしのぬくもり、さらには石炭が形成された悠久の時や大地の躍動さえも感じる。アルテピアッツァ美唄も、宮島沼も、同じ風土のなかで培われた、時代をつなぐ空間なのではないか。両者がゆるやかに有機的につながることで時を紡ぎ、未来へバトンをつなぎたい。