Vol.33 正宗 淳さん「私たちの本性」

アルテ通信 Vol.33

「私たちの本性」

北海道大学大学院理学研究院数学部門教授 正宗淳

 「そうしますと、数学も芸術と同じなんですね」
 安田先生の言葉から、アルテピアッツァ美唄(以下、アルテ)と私の幸運な交流ははじまった。

 アルテには冒険がある。アルテが開催する「こころを彫る授業」では、ずっしりとした石と心ゆくまで向き合わせてもらえる。授業とはいうが、カリキュラムやレクチャーはない。ディプロマもない。学ぶのは、限りなく広く深いおのが心のみつけ方だ。スタッフの影山さんはおだやかに質問へお答えくださり、安田先生はふらりと現れると、一人一人にコメントしてくださり、自ら彫ってもくださる。十年かけて一つの石を深める人、一日で完成とする人、作業の途中にカフェでくつろぐ人、散策をする人、一心不乱に彫る人。求める形を決めて、そこへ至る段階的な小さなゴールを設ける人、石の気持ちを形にしていく人。歩みも学びも人それぞれであるが、彫りすすめるといつしか自分の心に出会うそうだ。

 その果てに何があるか。安田先生が天聖・天モクを発表した際にイサム・ノグチ氏が次のように述べている。「大切なのは、意識や人智を超えた内面から生まれる真実を、如何にするどくとらえ、表現できるかである。絶えず変化し、広がりゆく己の知覚力を認識することが作家の義務なのである。安田侃は今回、フォーク状をした四角の大理石を制作したが、自分が持っている技術も彼自身さえも否定して作品を作り上げることで、このことを表明した」

 数学にも相通じるものがある。数学者は、限りなく広く深い世界から問うべき現象を見つけ、その本質をとらえ、人に分かってもらえるように表現する。手を真っ黒に汚しながら計算をくり返し、ときには、それまで必死に培ってきたことを捨てる。

 バートランド・ラッセル氏はいう。「数学は真実を含むだけでなく、絵画や音楽のような驕奢な誘惑に落ちることなしに、至高の美、すなわち、彫刻のように冷淡で厳粛な美、崇高かつ純粋な偉大な芸術のみがもつ完全性を備えている。真の歓喜の精神、人知をこえた感覚は、詩がそうであるように、数学の中に確実にみつかるものだ」

 ラッセル氏は大げさではない。ユークリッド幾何学、その性質を補助線一本と論理を通して明確に理解した瞬間の、あの鋭い喜びを思い出してほしい。
これは私たちの本性のようだ。

谷川俊太郎氏はいう。

私たちは知りたがる動物だ
たとえ理由は何ひとつなくても
何の役にも立たなくても知りたがり
どこまでも闇を手探りし問いつづけ
かすかな光へと歩む道の疲れを喜びに変える

 アルテに話を戻そう。山に囲まれた優しい丘、無骨な体育館、なつかしい木造校舎の教室、創造の場であるギャラリーとスタジオ、完璧な造形をもつカフェ、先生の夢を支えるスタッフ、それに、彫刻群。それらのモナドに至るまで魂が宿り、変幻する森羅万象が調和する。帰門をぬけると千の色が広がり、天聖と天モクが誘うエナジーフローを感じる。活気と苦い記憶がよみがえり、子どもの笑い声があがる。意心帰を通じて大地の子どもと心を交わそう。もっとも大事なことに大切な命を使い、只、今を生きて、つむぎたい。千の祈りがひびき、それらが共有されたとき、アルテは完成する。

 アルテに参加することは貴重で幸福である。ポポロ、イベント参加、ふるさと納税、ボランティアなどの方法があるそうだ。