Vol.41 秋野禎木「アルテがくれた確かな幸福」

 

「アルテがくれた確かな幸福」

元朝日新聞記者/北海道大学野球部監督 秋野禎木さん

 もう二十年も前になるだろうか。新緑が眩しい季節に、初めてアルテピアッツァ美唄を訪れた日のことである。
 駐車場に車を止めて歩きだすと、「水の広場」の方から優しい音色が聞こえてきた。オカリナだろう、澄んだ音が柔らかな風に乗って、通りすがりの訪問者を手招きでもするように響いてくる。歩みを進めると、白い服の女性が石の彫刻を背に、小さな笛を奏でていた。その隣で男性が民族楽器のような小さな太鼓を叩いている。トン、トトン…。
 不意に現れた情景に目を奪われ、立ち尽くした。著名な演奏家かもしれない。何かの撮影なら近づかない方がいいと思ったが、それ以上に、石の彫刻と音と光が織りなす神々しい気配に、近づくのがためらわれた。
遠巻きにしながら、古い木造校舎を利用したギャラリーに向かった。
玄関に入って、また呆然とした。大勢の幼稚園児の声がする。靴箱に並んだ小さな靴、靴…。傍らに干された濡れた雑巾。生活の匂いが立ち上る。一瞬、訪ねる建物を間違えたのかと思ったが、そこは紛れもなく安田侃氏の作品が並ぶギャラリーだった。
美術館といえば、温度や湿度が管理され、ルールを守って静かに鑑賞する場だと、いつしか思い込むようになっていた。私自身、ある有名な美術館で作品に近づき過ぎ、警告のブザーが鳴って仰天したことがある。
だがここでは、そんなことなどお構いなしに子どもたちが走り回っている。私の「常識」は小気味よく打ち砕かれ、賑やかな声の中で彫刻と向き合うことになった。
建物は、炭鉱で栄えた時代の小学校である。地底の黒いダイヤが地上に繁栄をもたらし、美唄にも栄枯盛衰の時が流れた。この校舎には最盛期、千人以上の児童が通い、そして巣立っていった。無数の思い出がつくられた学び舎は炭鉱閉山に伴って閉校し、その一部が幼稚園として使われていた。過去の余韻を残した古い建物が持つ独特の空気感の中に、未来に眼差しを向ける子どもの声が響き、静謐さを纏った安田作品が何かを語りかけてくる。異空間に迷い込んだような感情に囚われながら、私は板張りの廊下を踏みしめていた。
再び戸外に出ると、もうオカリナの音色は聞こえず、二人の姿もなかった。風は変わらず穏やかに流れていた。
それからアルテには、幾度も通った。いつも心のどこかに、オカリナの物語の第二章に巡り合えるかもしれないという期待があったが、二人を見かけることはなかった。今になれば、何か不確かな夢のようにも思えてくる。それでも、アルテに流れる長い時間の中に立ち現れた一瞬の情景を胸に刻むことができたのは、私には確かな幸福なのだ。
彫刻や風や光や人の営みが混然となってつくり上げられるアルテの世界。今この時も刻々と表情を変え、誰かに幸福をもたらしているであろうアルテの情景を想う。