Vol.39 花柳鳴介「人が原点に戻れるやすらぎの場所」

 

「人が原点に戻れるやすらぎの場所」

舞踊家 花柳鳴介さん

 「人が原点に戻れるやすらぎの場所」舞踊家 花柳鳴介 まず、30周年おめでとうございます。今から30年以上前、イタリアにいた安田侃さんが日本に帰られた時に、あの場所を美術館にしたいと美唄市役所の方や議員の方と一緒に思ったことが実現しました。美唄は、芸術や文化のこと、全てのことを炭鉱会社が地域に与えてくれました。大正時代から炭鉱がありましたが、閉山し、町は沈んでしまって、そこから皆さんが立ち上がってアルテピアッツァ美唄ができました。美唄市はどうしてこの場所にアルテピアッツァ美唄をつくらなければいけなかったのか。アートを見るために素晴らしい作品を集めた美術館ではなくて、炭鉱で栄えた場所の小学校、炭鉱という原点がある美術館です。
 アルテピアッツァ美唄になっている旧美唄市立栄小学校は多くの卒業生を送り出しましたが、私もその1人です。小学校入学は終戦直後、炭鉱住宅を仮の校舎にしていた盤の沢の分校で学びました。それから栄小学校が開校して、真新しい木造校舎に通いました。児童が増えて校舎は大きくなり、卒業の頃に体育館もできました。運動会で頑張って走って競技して、食料がまだ十分にない時代でしたが、親が一生懸命子供のためにつくってくれたお昼ご飯をみんなで美味しく食べました。冬には馬そりで学校に行きました。高学年のお兄さん、お姉さんが年下の子供たちの手を引いて馬そりに乗せてくれました。炭鉱住宅でもそうですが、貧しくてもお互いが助け合って生きてきた、僕の原点をつくってきた思い出がたくさんあります。モノがなくて、ボロボロの服を着て、食べ物がなくて親があちこちからかき集めてくれた時代、その生活には喜びも感謝もありました。
 今はロボットが料理もする時代ですが、人間がいらない世界になったらこの地球はどうなるのかと思います。安田侃さんの作品はミラノでも拝見しましたけど、感性を磨く作品です。世界的に子供は感性を磨いてあげるべきで、料理でも芸術でも、機械がつくるものに心は入りませんが、人がつくったものからは気持ちが伝わります。そこから人間の心とか優しさとか感性とかいろいろなものが育まれますよね。
 我路ファミリー公園にある安田侃さん作「炭山の碑」を舞台に、昭和63年から創作舞台「やすらぎの舞」を9回開催しました。安田侃さんもこの美唄で生まれ育って、イタリアに渡って苦労して、人生に刻まれたものが「炭山の碑」に入っていますよね。天国にいる、国籍関係なく、亡くなった先人のことを想って侃さんはあの作品をつくったんだと思うんです。だから、自分も何かしなくては、誰も見ていなくても、誰にも知られなくても、何かを祈らなくてはと、「やすらぎの舞」は出発しました。その1回目に侃さんはイタリアから駆けつけてくれ、本番3分前に到着、そこから交流が始まりました。ミラノの個展の応援にも行ったんですよ。侃さんから贈っていただいたシルクスクリーンは、米沢の稽古場に大切に飾っています。エディション番号が1/1という他にはないというもので、特別な額装がされた気持ちのこもったプレゼントでした。
 昨年、アルテピアッツァの体育館(アートスペース)で行われたコンサートに行きました。ヴァイオリンの音色を聴きながら、「あ、なるほどな。さすが侃さんだな」と思ったんです。体育館の天井、侃さんの彫刻がぴったり合っている。彫刻も含めたこの空間が、原点である我路の「炭山の碑」、さらに立坑に繋がっています。
 古代ローマの彫刻を見て、もう一回見たいという気持ちになりますよね。人間でしか味わえない気持ちです。美唄にはそういう財産、アルテピアッツァ美唄がある。見る人の心を育む彫刻があり、心の故郷と呼べる場所をつくりだした。そこは我々のように現在生きている人たちが年齢に関係なく原点に戻ることができます。美唄市民でも、まだまだそのことに気付いていない人が多いから、それを僕が発信していかなければならない、僕なりにそう思っています。

 
※今号は、アルテピアッツァ美唄30周年記念として、 長らく日本、美唄の文化・芸術を牽引してこられた美唄市出身の舞踊家花柳鳴介さんに、アルテピアッツァ美唄の30年についてお話を伺いました。(2022年1月美唄市内にて)