Vol.37 岡本仁さん「精神の健康診断をしてくれる彫刻」

 

「精神の健康診断をしてくれる彫刻」

編集者 岡本仁さん

 東京・乃木坂にあるギャラリーで若手建築家の展示を観た後、昼ごはんを食べようと六本木のほうへ歩き始めてすぐに、ミッドタウンの広場入口で安田侃の彫刻が目に入ってきた。「妙夢」と名付けられたその彫刻には見覚えがあって、どこかで何度も側を通り過ぎているはずだ。しばらく考えて、それが札幌駅の南口だということを思い出したのだが、いつも人だかりがしているあれは、たしか白い大理石でつくられたものだったような気がする。いま目の前にある「妙夢」は黒だ。これはブロンズなのだろうか。そして同時にふと思った。ぼくがいま考えを巡らせているこの彫刻の作者が安田侃であることを、ぼくはいったいいつから知ったのだろう。前にミッドタウンのこの場所を通った時は知っていただろうか。そもそもここに彫刻があったことに気づいていただろうか。
 パブリックアートというのは「気づく」ものだと思っている。前からそこに在って、視界に入っているはずなのに、気づくまではその存在が自分の意識には入ってこない。しかし気づく前にもそれはそこにあり続けていて、在るということでぼくに何らかの影響を与えていたということを、気づいた時にようやく知るのである。気づいてしまえば、その作品とぼくとはすぐに打ち解けて親密な関係になる。「やあ、元気かい?」と心の中で声をかけたり、ちょっと触ってみたりする。ミッドタウンの「妙夢」も、自分にとってはどこかの時点で興味を持ち、そういう存在になったのだと思う。  
 おそらくきっかけは、イサム・ノグチとの関係を知り、2019年と2020年の2回、〈アルテピアッツァ美唄〉を訪れたことだろう。安田侃の生まれ故郷である美唄市の、廃校になった小学校の校舎と体育館を展示室として使用しているだけでなく、7万平方メートルという敷地にも数十の野外彫刻が点在する。ここが目指す場所だと車を降りて、入口を探してみたが見つからない。入口もなければ囲いもなかった。そこにまず驚いた。そして、その広々とした傾斜地を自分のペースで歩く人たちに、美術館に来たという雰囲気はなく、たまたま近所を散策しに来たという風情だった。犬を散歩させている人も多かった。作品を観てくださいと来訪者に仕向けるような、美術館然としたものがないのだ。何たる自由。遠くに見えている大きな彫刻を頼りに歩いていくと、その途中の草むらの陰に別の彫刻が隠れている。この調子だと、ぼくはおそらくすべての作品を観ていないのだろうと、だんだんにわかってくる。でも、一度に全部を観なくても、また来ればいいじゃないかと作者に言われているような気がするし、自分でもそれでいいと思うようなゆとりを取り戻せたような感じがある。何か目詰まりしていること、流れを堰き止めていること、そういうものから解き放ってくれる場所と、そこに置かれた彫刻。できるだけ早く、ここにはまた戻ってきたいと思う。