アルテピアッツァ美唄とは

帰門ここは、1人の彫刻家・安田侃(かん)が今なお創り続ける、大自然と彫刻とが相響する野外彫刻公園である。

美唄市は、かつて北海道有数の炭鉱都市として栄えた。1973年に最後の炭鉱の灯が消え、炭鉱住宅はひっそりと静かになり、子どものいなくなった学校は閉校した。それから時が過ぎ、イタリアで創作活動を続ける美唄出身の安田が、日本でアトリエを探していた際、1981年に閉校した旧栄小学校に出合う。その朽ちかけた木造校舎には、子どもたちの懐かしい記憶がそのままに残っていた。そして、校舎の一部に併設されていた小さな幼稚園に通う子どもの姿が、彼の心をとらえた。時代に翻弄された歴史を知らず、無邪気に遊ぶ園児たちを見て、彼は思う。

「この子どもたちが、心をひろげられる広場をつくろう」。

それがアルテピアッツァ美唄誕生のきっかけとなった。

その後、彼と、彼の思いに共感した多くの人々の尽力により、1992年に学校跡地を中心に広大な敷地をもつ世界でも希有な彫刻公園が開園した。木々の中に40点あまりの作品が配置され、それぞれが自然と溶け合いながら豊かな空間を創り出した。展示空間としてよみがえった校舎や体育館では、さまざまな展覧会やコンサートなども開かれるようになった。中央の芝生の広場では、夏は水遊び、冬は雪遊びにやって来る大勢の子どもが走り回る。かつて、ここに通っていた子どもたちの記憶と、現在の子どもたちの明るい歓声が、混じり合ってこだましている。

訪れる人々は、初めて来た人でもどこか懐かしい気持ちがするという。

安田はいう。「アルテピアッツァは幼稚園でもあり、彫刻美術館でもあり、芸術文化交流広場でも、公園でもあります。誰もが素に戻れる空間、喜びも哀しみも全てを内包した、自分自身と向き合える空間を創ろうと欲張ってきました。この移り行く時代の多様さのなかで、次世代に大切なものをつないで行く試みは、人の心や思いによってのみ紡がれます」。

アルテピアッツァ美唄は、自然と人と芸術の新しいあり方を模索し、提案し続け、訪れる人々に自分の心を深く見つめる時間と空間を提供する。それはまさに、芸術の本質に通じている。

アルテピアッツァ美唄小学校内

アルテピアッツァ美唄のあゆみ

1991年 閉校した旧栄小学校の体育館を交流スペース、アートスペースに改修。
1992年 7月、野外スペースを整備し、アルテピアッツァ美唄としてオープン。「真無」「吹雪」など5作品を野外に展示。
11月、アートスペースで初めての演奏会を開催。
1997年 水の広場開設。
1998年 旧栄小学校の校舎改修。
1999年 旧栄小学校2階にギャラリーを開設。
2001年 10月、北海道が創設した「北のまちづくり賞」知事賞受賞。
2002年 5月、安田侃さんが「第十五回村野藤吾賞」受賞。受賞対象作品が「アルテピアッツァ美唄」。
2003年 7月、天皇皇后両陛下、アルテピアッツァ美唄を行幸啓。
2006年 4月、指定管理者制度により、NPO法人アルテピアッツァびばいが管理運営を開始。
2007年 4月、ストゥディオアルテ、カフェアルテがオープン。ストゥディオアルテでは、毎月、こころを彫る授業を開催。
2009年 10月、NPO法人アルテピアッツァびばいが北海道新聞社「第8回北のみらい奨励賞」受賞。
2010年 1月、NPO法人アルテピアッツァびばいが「地域づくり総務大臣表彰」受賞。
6月、音の広場に「真無」を設置。
2012年

7月、アルテピアッツァ美唄20周年記念安田侃作品展「触れる」を開催。
12月、NPO法人アルテピアッツァびばいが北海道「平成24年度北海道地域文化選奨」受賞。 
現在、野外・ギャラリー・カフェ・アートスペースを合せて約40点の作品を展示している。

ただ今、アルテピアッツァ美唄のアーカイブ作業に着手しています。
2013年度事業において作成しました年表「アルテピアッツァ美唄20年の軌跡(PDF144KB)」はこちらからご覧いただけます。 

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